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―数ある発展途上国の中で、なぜアジア最貧国の一つバングラデシュを選んで行ったのですか? 現地の大学院も出られていますよね。 大学のインターン時代、ワシントンの国際機関で途上国援助の矛盾を感じたんです。援助金はどこに消えてしまうんだろうかと不思議に思ったことがたくさんあって。パソコンでアジア最貧国で検索したら、「バングラディシュ」と出てきた。自分の目で現場を見ようと現地に向かいました。それは悲惨ですよ。例えば、1日1ドルで生活している人が人口の40%もいるんです。人力車に人を乗せる仕事をするよりも物乞いをした方が儲かるし、物乞いするために親が子どもの手を切るなんてことは、現地では当たり前のことだったり。そうした現状を目の当たりにし、時間をかけて最初に感じた矛盾や疑問への答えを探そうと、日本人初の大学院生になりました。 ―「自分で見たもの、聞いたものしか信じない」という信念をお持ちの山口さん。現地でさらにバングラディシュへの思いを強くされています。やはり実際に見ることは、大事だと思われますか? 私も最初は、「かわいそう」という意識だったんです。でも現地に言ってみて、「かわいそう」で終わらせてはいけない現実を見ました。様々な問題を抱えた社会の中で、「服はなくても明日も生きていこう」みたいなたくましさもあって。現地の人たちの中に眠っている可能性を感じました。 |
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―バングラディシュの特産品であるジュートを素材にし、現地の工場でバッグを作る。それによって、バングラディシュと日本の対等な経済活動を実現しようと起業されたんですよね。「社会貢献」という名前がついたバッグに対する、お客さんの反応はいかがですか? 最初は、途上国発ブランドというコンセプトは、なかなか受け入れてもらえませんでした。でも最近は、こうしたバッグを買うことで、「ちょっといいことができるのだったら嬉しい」という方も増えているようです。ブランド名にこだわるというよりは、製品その裏にある何かを意識して、買うお客さんが増えているんですね。ただ私は、単なるボランティア精神ではなく、ファッションというものを犠牲にしないでやりたい。それが挑戦であると思っています。 |
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―現地の人にとって、山口さんは支援者? ビジネスパートナー? 外から見ると、バングラディシュの人の自立支援みたいに見えるのかもしれませんが、あくまでもビジネスとしてやっています。ですから、“Win-Win”の関係じゃないと成り立ちません。ボランティアでやっているのではありませんから、本当にダメなときは、ダメって言いますし。最終ゴールはお客様の満足であって、生産者の自立支援ではないんです。お客様に満足していただくためには、品質基準も相当厳しく定めていますし、不良品があればペナルティもありますし。でもその分、長く続いていくシステムのビジネスだと思っています。 ―仕事をする上で、これは、譲れないなと思うことは? 常に意識していることは、「途上国からブランドをつくるという理念」と合致しているかどうかです。いろいろな意見、たとえば「生地だけバングラディシュから輸出すればいいじゃないか」とか、「生地を輸入して中国で作った方が品質もいいし早いんじゃないか」とか。販売に関しても、「もっと価格帯の安いものを量的にさばく」ほうがビジネスとしていいんじゃないかとか。バイヤーの人たちから「メイド・イン・バングラディシュ」のタグを外したら売れるとか、いろいろ言われました。でもバングラディシュのみんなが現地で、原産の生地を使って作り、「メイド・イン・バングラディシュ」のタグをつけたものを東京で売るところに意味があるんです。そこが崩れると、マザーハウスというブランドが壊れてしまいますから。 |
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―「バッグデザイナー」という肩書きですが、どんなデザインをされているのでしょうか。 デザインをするようになったのは、最近のことです。でも単なるデザインならデザイナーを雇えばいいわけですが、私がしなくてはいけないデザイン、私がやる意味というのをずっと探っていたんです。バングラディシュにいて、この地に思いがあって、変えたい社会がある。だったら変えたいものとか、疑問に感じることとか、社会的なメッセージを製品に落とし込もうと思って。ただ、それをどうやったらいいのかが問題で、苦戦していました。それで、この春リリースする新作のコンセプトを、2007年11月、バングラディシュを襲った「サイクロン」にしました。そういう意味では、世界のどのブランドにも負けない社会性をもっていると思いますし、この部分で戦っていかないと勝ち目はないと思っています。 |
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