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―2000年に活弁士としてデビューするまで、どんなストーリーがあったのでしょう? 清泉女子大を卒業して就職活動をしたのですが、当時は就職難だったこともあり、どこも不採用。だったら、思い切って興味のある芸能方面を目指そう、と。学生時代、早稲田のミュージカル研究会にも所属し、舞台に立つ楽しさに未練があったというのもあります。 ―当時は、日々どんなことを考えていましたか? 社会人になったからには「赤字の人生はもう終わり」と決めたのです。ノルマを自分で払うような舞台は、 たとえやりたい役でもオーディションを受けませんでした。2年でモノにならなかったら、芸能の道はキッパリと辞めるつもりでした。 そんな時雑誌で、無声映画シアターレストランがオープンにあたって「座付き弁士」を募集するという記事を見つけたのです。 ―ピンと来るものがありましたか? それが全く(笑)。活弁士という仕事が何なのかも知らず会場に行きました。それまで無声映画を見たことも無く、台本を自分で作るという事も初めて知りました。会場でいきなり古典映画の朗読をすることになったのですが、この声でやったら審査員の方々は大笑い。でも結果は合格。活弁士のお仕事は面白そうと思ったのですが、台本作りは私には無理。お断りしたのですが、無声映画には喜劇やアニメもあるからやってごらんと勧められ、すぐに本舞台に出ることになったのです。 |
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―活弁士・山崎バニラの誕生ですね。 華々しさとは真逆のデビューでした(笑)。教えてくれる人はいないし、試行錯誤の連続。初めて活弁をつけたのは10分程度の作品でしたが、台本作りに2ヶ月かかりました。今だから笑って話せますが、客席が母と妹、その友達だけという時も。それが序々にシアターでの興行が評判になり、後半は立ち見が出るまでになったのです。 |
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―金髪&和服スタイルに個性的な声。バニラさんをテレビで初めて見た時は、衝撃的でした! テレビで着ている和服は全て、祖母から譲りうけた自前です。金髪のウィッグは、似ていると言われたイタリア人女優のジュリエッタ・マシーナを意識しています。覆面レスラーのように、着けると強気になれる(笑)勝負スタイルです。 ―大正琴での弾き語りも、“バニラ流”スタイルですね。 実は、弾き語りスタイルは、楽をしようと思って始めました。台本書きが苦手なので「楽器を弾いている間はセリフを入れなくていいな」と。母がピアノ教師だったので、楽器の心得はあります。祖母が買って物置で眠っていた大正琴をひっぱり出し、自己流で練習をしました。いざ始めたら、弾き語りの活弁は、右脳と左脳をフル稼働しないとカタチにならない。楽をしようと思ったのに、大変なことになっちゃいました(笑)。 ―活弁士という仕事の魅力は? 「上映」とも「上演」ともいえる活弁を通して、無声映画の魅力を紹介できることです。映画の黎明期を支えた俳優さんたちの、躍動感あふれる映像に愛おしさを感じます。 ―小さい頃は、どんなお子さんでしたか? 極度の人見知りでした。大学時代、ミュージカル研究会に入ったのは「ここで自分を変えないと、私は一生このままだ」と思ったからです。今でこそ大勢の前でしゃべる仕事をやらせて頂いていますが、ステージの中央でしゃべる落語や講談だったら無理でした。映画のサポートという裏方的な立場でしゃべる活弁士だから、続けられるのかなって思います。 ―ご自身の性格で好きなところは? 色んな立場の人の気持ちを共感できるところです。バックダンサーや振付師のアシスタント時代もあったから、同じ境遇で頑張っている人の気持ちが痛いほどわかる。掃除のアルバイトや学生時代は大道具も作っていましたから、裏方さんに感謝できる…。貴重な経験をたくさんさせて頂いたおかげだなって思います。 ―個性を磨くために、続けていることはありますか? 朝起きて、ラジオの「スペイン語講座」を聴くのが日課です。私は、お金と時間をかけてあれこれ習い、器用貧乏になるのはどうかと思うんですね。大学(スペイン語スペイン文学科)で真剣に学ばなかったので(笑)、細く長く続けています。
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